拙者とにかく、親近感のある人間になりたい。
キングジムのTwitterの中の人
以下は、現世における『親近感』の最上級である、「キングジムのtwitterの中の人」について語っている記事だ。
『キングジム』はライザップの対抗馬、ということはなく、文房具の会社だ。警視庁捜査一課の犯罪歴リストを整理するのに使うような、クソみたいに分厚いブルーのファイル。お分かり頂けるだろうか。あれで有名な文房具の会社が、キングジムだ。
本題はそれではなく、どうやらキングジムのtwitterの様子がオカシイということである。フォロワーがなんと、33万人ほどいるようだ。そしてこの人気のカギが、一般人が企業に対して最も抱きにくい感情、『親近感』らしい。
当方、とにかく親近感さえあれば、フォロワーを33万人獲得してインフルエンサーになり、鬼の様にモテることで子孫繁栄欲求をMAXまで満たせる、ということが分かったので、底知れぬ親近感の根源について探っていきたい。
『親近感』とは。
親近感の抱きにくい人間
「親近感の抱きやすい人間」と言われてもさっぱりイメージが湧かないが、「親近感の抱きにくい人間」なら即座に5万個ほど例を挙げることができる、というのが人としての嵯峨だ。
特に「親近感の抱きにくい人間」の存在が露骨になるのは、ガールズトークにおいてアニヲタorジャニヲタが2人以上いる、という人類史上最悪の状況だ。とにかくコイツらは、周りが全く知らない話を突如おっぱじめて、勝手に盛り上がってる。そして全く興味もないのに、とにかく『推しの画像』を見せてくる。
以上の例から垣間見える『親近感の抱きにくい人間』の第一条件、これは、相手が知らないかもしれない固有名詞を突如としてぶっぱなしてくる人間だ。
キャピタルゲイン。
コンタミ。
生田絵梨花尊い!!!
などだ。
こんなことを公の場で平然と宣ってくるヤツがいないだろうか。
正直、これはもう一発アウトだ。なんなら先方は、「トリプルプレーで3アウトだから、チェンジだ。」と思っていることだろう。
そして、こういうのは意外と、若手起業家や研究者にもよくある。とにかく、なんだか近寄り難いのだ。
若手起業家でも、研究者でも、ヲタクでも、「誰かに影響を与えよう」とか、「少しでも多くの人に知ってもらおう」という意思があるならば、親近感を身に付けるに超したことはない。
しかし、この部類の人は、驚く程それが苦手だ。
ナゼだろうか。
相手が分からないかもしれない、ということが分からない。
まず、親近感を抱きにくい人間の特徴として、『相手が分からないかもしれない、ということが分からない』という可能性がある。つまり、知識があり過ぎるがために、「知ってて当然」だと思ってしまうということだ。これは年配の、今にも死期が迫っている教授によくある。
しかし、この場合は、まだ良い方だ。
下手をすると、「こんなに難しい言葉で喋っちゃってるオレ優秀」と思っているヤツがいる可能性が、ある。そして、「分からないヤツはオレの話は聞かなくていい」という危険思想を抱いている可能性が、低めに見積もって、5憶パーセント程ある。
確かに、専門用語を駆使してソレっぽいことを言えば、回りは評価してくれるかもしれない。
しかし、それを然るべき場所以外ででやると、親近感が絶望的に落ちる。回りからの評価を固めることに固執して、その他大勢の存在を忘れてしまっているからだ。
最悪の場合、仲の良かった友達にも、「アイツは変わった」で片付けられることになる。
では、結局『親近感のある人間』になるにはどうすればいいのか。
親近感の抱きやすい人間
私の中で、親近感の湧きやすい人間の性格を一つだけ挙げられる。それが、「バカな奴」だ。
あんまりデキた人間を見てると、イジルことも出来なければ雑に扱うこともできないし、なんだが劣等感みたいなのまで襲ってきて、疲れる。とにかく人間は、ちょっとクズなくらいが丁度良い。
「人間なのだからダメなところや失敗談の1つや2つは持っていて欲しい」といったところだ。
が、ここで重要なのは、「完全なバカじゃなくてもいい」ということだ。少なくとも、時と場合に合わせて、割り切って『バカを演じることのできる人』であればいい。
つまり、『緩急』だ。
これが、知識やプライドや誇りや野望といったものを持ってしまうと、驚く程できなくなる。こういう上手な割り切りができないと、「実績があっても自信満々に自己をアピってくるヤツは射殺されても文句は言えない国、日本」において、『意識高い系』と揶揄されることになってしまう。
それを避けるには、もうシンプルに、自分は人間だというのを忘れないだけで十分なんじゃないかと思う。起業家、研究者、アニヲタである前に人間だ。
キングジムのtwitterが親近感を獲得できたのも、「企業は人間で出来ている」ということを上手に伝えられたからなんだと思う。
1つのフィールドで考え過ぎる人はたまに、プライドや誇りみたいなものがジャマして、その外に出れば『タダの人間になる』ことを忘れている。
人間としての親近感。
これは「同調」じゃない。「相手の意見に合わせること」でもないと思う。
「他人への想像力」だ。
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