”クリエイティビティ”は才能じゃなくて習慣と時間の使い方によって決まるという説を提唱したい

ビジネスという言葉は怪しい

インターネットって便利ですよね。便利ですか?

答えのない疑問に対峙するのが苦手な我々

先日、とある出版社の方がこう言っていたのを耳にした。

「僕に質問してくる学生のほとんどは、全ての疑問に答えがあると思い込んでいる。」

確かに、我々現代人は答えのない疑問に対峙するのが苦手だ。「なぜ生きるのか?」「なぜ地球は今日も回るのか?」「なぜおばあちゃんの家はどこも特有の匂いがするのか?」

こういった疑問にぶつかると、ハッとする。考えたこともない上に、一度尋ねられると答えが無いのは、どうも気持ち悪く感じるからだ。

「自分自身が出した答えに自信を持て」

その出版社の方は、後に付け加えるようにこうも言っていた。なぜ、我々は自分で答えを出すことが苦手になってしまったのだろう。

これこそが、インターネットの弊害なのかもしれない。

“ググる”習慣と引き換えに失ったもの

さて、今回するのは「インターネットは悪だ!今すぐスマホは折れ!」という話ではない。柔らかく言うと「インターネット、効果的に使えてますか?」というお話だ。

無論、インターネットからは新しい情報を得ることができるし、それによって思考の幅を広げてくれることもあるだろう。今となっては、エンターテイメントや、人との出会いまで詰め込まれている。

しかし、「すぐに検索する習慣」は私達をどう変えただろうか。

あらゆることに“答え”を求めるようになった。

私達は“ググる”利便性を手に入れると引き換えに、考えることをやめてしまったのかもしれない。

インターネットは思考停止?

ここまでは、実際一般論過ぎて耳が痛い。「インターネットは思考停止だ!」なんて声はもう再三あげられているし、何を今更という感じだ。「ハリーポッターと賢者の石」が金曜日にロードショーされている時に感じるほどの今更感だ。

今回したかったのはこんな話ではなく、インターネットの存在が、創作意欲や創造性なんてものを、著しく下げてやいないか、という話なのだ。

クリエイティビティはどこから生まれるか?

機械化や情報化が進む今日、クリエイティビティというものが強く求められるようになった。淡々とこなせばよい事務作業のほとんどは機会が代替するようになり、新しいアイデアが要求される部分に、特に人間の力が注がれるようになってきたからだ。

そういったところに求められる「創造力」を苦手に感じる人は、少なくないだろう。“創造”には答えがないからだ。ググってポンと答えが出されるのとはわけが違う。

つまるところ、インターネットが奪ったのは“創造の時間”だったのかもしれない。

私は、飛行機やバスなどでの長距離移動時間に、こういった文章の構想を思いつくことが多い。移動時間はネットを使わないようにしているからだ。そもそも、飛行機内ではネットを使えないし、バス内も山間部では接続が悪くネットを使っていてもイライラするだけだ。

つまり、究極の暇人なのだ。そんな時私は、大体文章を書きたくなる。どこからともなく創造意欲が湧いてくるからだ。

ヒマから生まれる創造意欲

昔の人もこんな感じだったのではないかと思う。暇だから、何かを考えてみよう、何かを創ってみよう。そんな風にして、コペルニクスは地動説に行きついたり、ベートーベンの第九が生まれたりしてきたのではないかと思う。

つまり言いたいのは、この現代社会、創作意欲が湧かないのだ。スマホを見ればいつでも友人と会話ができて、好みのエンターテイメントが身近にある。もはや暇なんてものは、ないのかもしれない。

もう、第九のような1時間もある超大作の楽曲がこの世に生まれることはないだろう。「空が動いているんじゃなくて、地面が動いているんじゃない?」なんて、今までの常識をドヤ顔で覆すような論説も生まれないかもしれない。

そう考えると“ヒマ”というのは、ある意味至高だったとも言える。スマホは我々の生活を確かに豊かにしたのかもしれない。しかし、ヒマによって生まれる内なる意欲を大切にすることも、間違いなく私たちの生活を豊かにする。そのことを、この忙しい社会を生き抜く我々は、忘れてはならないだろう。




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