久々に会った友人とナニを話せばいいのか分からない。

生き抜くメンタル
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旧友と会う時の、不思議なあの感覚 。

同窓会や、昔の友達

 初めて会う人には全く人見知りをしないし、先輩後輩問わず気軽に話せるというコミュニケーションの猛者でも、唯一苦手としがちな対人ジャンルが、『旧友』だ。

 旧友という間柄での、適切なコミュニケーショントピックの選定が、それはもうギネス認定レベルで難しい。ケニアに住むマサイ族との方が会話が続くんじゃないかと思うくらい、難しい。

マサイ族なんてまず視力の会話から始めればええやろ」という貴重なご意見は無視して、とにかく旧友とのコミュニケーションが難しいと思うのは、共通の話題が減ってる割に、新たに掘り下げるべき人間性も大してないからだ。


「今のバイト先の店長がさ…」なんて話をしても「知らねーよ」という感じだろうし、「最近のご趣味は…」なんて切りだそうものなら、tinder初対面の会話か何かと勘違いされることだろう。

 だから旧友との会話となると、変わったような変わってないような容姿の話と、恋愛の話が終了すると、即座に一般的な天気の話と最近の災害以外の話題がなくなってしまうというのが、気候変動の激しい国に住む我々日本人の嵯峨だ。

ナゼ旧友との話題チョイスが難しいのか

 旧友との話題が極端に少なくなってしまう理由の一つに、「自分の話がしにくい」というのがある。

「コイツ、変わったな」と思われたくない一方で、「コイツ、全く変わってないやん」とも思われたくないという、圧倒的矛盾をはらんだ不思議な感情が芽生える。


 旧友とは全く違う場所で違う生活を送ってきている分、その中で形成された考えや人間性というのも多少なりとも相手とは違っていて、それを全面に押し出すと、もう違う次元に行ってしまったような、何だか近寄り難い人間になってしまう。一方で、その文脈を全く語らないと、新たな経験については何一つ語れない、まんが日本昔話状態の人間になる。 

 だから旧友と話す時は、このせめぎ合いの丁度良いところを、いつも探しているような気がする。

基本的に人間は、矛盾する生き物

 この、『旧友とどう話すか』というのを改めて考えて思うのは、自分としてはどんなに違いを感じさせられたとしても、やっぱり相手の空白の時間のお話は聞きたいということだ。


「彼女にするならバカな女が良い」と言っていたパイセンが、半年後に会うと「彼女はやっぱり優秀な女に限るわ」と言っているように、人は経験によって本当に真逆のことを言うようになったりもする。

 一貫性のある人は確かに格好いいし素敵に見えるかもしれないけど、私は会う度に言うことが変わっているくらいの人が、結局もの凄く好きだったりする。「アンタ、前と言ってること全然違うやん」という人の方が、人間として何度も会う甲斐があるし、会ってない間に面白い経験をしたんだな、というのが垣間見えたりして、話も刺激的であることが多い。


 だから旧友と会って新しい話を聞けると、その人の言葉は相手の「最新のアップデート状態」なんだろうと思う。でもそれはあくまで、その時点までのアップデートの状態だから、経験の中で新たな思考をすると、また全然違うことを言うようになる。

 基本的にヒトがモノを言うことの大概なんてのは、かなり胡散臭い。何度も何度も塗り替えられるからこそ、胡散臭くて、面白い。人間が完全に一貫するのなんて、極論無理だ。今は熱狂的な乃木坂46信者だとしても、10年もすれば「白石麻衣ダレだっけ?」という状態になってる。


 そして、そんな胡散臭さだって見ていたいと思えるのが旧友だから、根も葉もない己の経験だけに基づく勝手なことを喋っていて欲しいと、結局のところ思っている。色んな経験をしてきたことを伺えるのが、とても微笑ましい。

 だから旧友との間柄では、多少近寄り難いと思われる可能性があっても、アップデートバージョンを隠す様な人間では、いたくないと思うし、いて欲しくないと思う。


 帰国まであと2週間です。旧友と呼ぶ関係になるには、半年は短かったけど。




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