優秀な人が語る「やりたいこと」には、いつも説得力がない

ひっしゃのコラム
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やりたいこと

 我が研究室に、登校中に20回くらいは職務質問されても何ら不思議じゃない感じの博士3年目の先輩がいる。誤解を恐れずに暴露すると、私はこの圧倒的変人な先輩を非常に尊敬していて、そんな先輩と先日、大学生ならば累計5万回くらいは議論して来たであろう「やりたいこと」の話になった。

 動機なんて何一つなくたっていっぱい勉強して、きちんと出された課題をクリアして、テストでもいい点を取って、いい大学にも入ったのに、突如として求められる「やりたいこと」。どんなに成績のいい人間でも、大学に入ると、これがない人間は驚くほどツマらないという判決が下される。

 大体あの、「それだけ優秀な人間であらば、さぞやりたいことがあるのでしょう」という先入観で接してくるオトナは、一体全体何なんだろう。幼少期に松岡修造と絡み過ぎて悪影響を受けてしまったんでしょうか。

大学生が志望動機を問われた時

 なぜか理由もなく、義務教育という勉強のできる人間が評価される世界にブチ込まれて、そこで勝ち上がって来た人間に対して、突如求められる「やりたいこと」。それは、就活で執拗な程に志望動機を問われることに由来する。

 これについて先輩が話していたことは、弓道場を貫通した弓矢で狩りが成功するくらい的を得ていて、面白かった。

例えばこれがゲームだとしたらさ、今までは素手で勝負して、順調にレベルアップして99Lvまで来たのに、 ラスボスを目前に「ここは特殊な武器がないと勝てません」って言われたって、そんなの理不尽じゃね?


 確かに志望動機っていうのは、それまで求められて来なかった武器みたいなもんで、だから「理由もなく頑張って来た人間」が、「理由があって頑張る人間」じゃないと評価されない世界の構図を見ると、やっぱりなんかハッとする。


 それは、理由もなく始まった競争社会に対して、今更『理由』を見い出せと言われる戸惑いもあるけど、それがないだけでラスボスを前に門前払いを食らってしまうという理不尽さが大きい。そしてそれと同時に、目的もなく走ってきていた今までの時間が、急に無意味なことに感じられてしまうという些細な失望もある。

知識人間とアート人間の間にある、反り立つ壁

 そこでまた、あの話を思い出した。「2a – a = a 」だと言われて納得できる人は優秀になる人間で、「2a – a = 2 」とも考えられるという違和感を拭えない人は、感覚で生きる芸術の道に進む人間だという話。


 結局、「回答としてマルが付く方向」、つまり評価される方向に自分の考えを合わせにいける人間は「自分の考えや夢や希望」を語るのは苦手だけど、言われたことをこなしながらスキルアップしていくのが得意な人になる。逆に、自分の感覚を大事にしてきた人間は「周りの評価に合わせにいくこと」が苦手だから、自己表現によって支持者を作り出す方向に動いて、言葉なり音楽なり絵なりで大成功するか、大失敗するかになる。


 こういう生き方の適性というか、これまでの生きてきた方法みたいなものは、もう我々が卵子だったころからの宿命のような感じがしていて、その間には、ミスターSASUKEでも絶対に乗り越えられない反り立つ壁がある。

 優秀層の人が、あまり勉強の得意じゃない友達に、「そんなに勉強できるのに、やりたいことがないなんてもったいないよなぁ」と言われたことが、何回かあるんじゃないかと思う。この時に、勉強の得意じゃない友達は、あなたのように社会の中で評価されながら進んでいく「上手な生き方」を羨んでいることだろうし、そんなあなたは、もう取り戻すのが難しくなっている「自分の感覚」で生き続けている友達のことを、少し羨ましく思ったりもするのかもしれない。


 結局この間には、行き来できない壁が反り立っていて、だからこそ極論、国が回ってるんだと思う。全員が全員「自分の感覚」だけで生きていくようになったら国が終わるし、「自分の感覚」で生きていこうとする人間を揶揄するのも、また違う。「自分の感覚」で生きるリスクを背負えない人間から、「上手な生き方」をするようになっていく。


 だから、そういう俗に言う優秀層の人間が「やりたいこと」みたいなのを語っているのには、私はいつも拭えない違和感を見てしまう。「やりたいこと」を語るのにすら社会の評価される方向にアジャストして上手に生きる人間に、筆舌に尽くしがたい胡散臭さを、感じてしまう。

それ以上におかしいこと

 優秀層の人間が「やりたいこと」を語るのにもそれなりの違和感があるけど、営利法人側の人間が学生に対してシボウドーキを追及することにも、正直かなりの違和感がある。

 オリから放たれたハムスターに対して、「なんで走るの?」と尋ねているような、そういう違和感。ハムスターはオリから出られたら、百発五億中で走り出すのが自然だ。


 そもそも、学術領域とビジネス領域に一貫性がなさすぎるのに、その領域シフトの節目に動機を求めてくることすら、どこか検討違いな感じがしてくる。ハムスターだって、とりあえず何があるかわかんないから走ってみたいし、走る中で行ってみたい場所が見えてきたりするんだと思う。ケージの中で得られる情報から判断したことと、実際に外の世界で生活してみてから考えることは、全然違う。


 だから結局思うのは、「あなたが動機を問う動機はなんですか」というのを、一度ゆっくり人事部の人とでも話してみたいと思うんだけど、こういうことを言うと「感覚で生きる人間」だと思われてしまうから、結局言えないでいるという自分の中に、典型的な優秀層パターンを見てしまって、嫌気が刺して来たりもするんです。





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