「年上ってだけで偉そうにしてんじゃねーよ」ってヤツ。ナメるな。

生き抜くメンタル
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 今日も元気にイキってますか、チンピラの皆様。

先輩のお話を聞くときの『視点』の意識

 研究室の准教授とのミーティング中に思ったことです。

『教授と生徒』などという奇遇な関係は、健全に社会でご活躍しておられる皆サマには大変物珍しく、サッパリ想像も湧かないことと思うので、先輩をイメージしてみて欲しいです。


 そして、研究の細かいお話も健全に社会でご活躍しておられる皆サマにはサッパリ想像も湧かないことと思うので、ウンコに置き換えて話していきます。


 例えば今ここにウンコがあるとして、その出所をを突き止めるのが我々のプロジェクトだとします。

 『肛門』と言ってしまえばそれまでなのですが、今回のターゲットは肛門の主体主です。

 ウンコが突然何の前ぶれもなく現れる原因としては、まず「大体イヌ」だという仮説が立ちます。
「ネコもキツネあり得るし、何ならゴリラかもしれないけど、俺はイヌだと踏んでいる」という具合です。
 そして、それがどのイヌに由来したウンコかを探るには、「この道で朝にウォーキングをする人物がアヤシイ」ということになります。調査対象を少しずつ狭めていくんですね。これが頭の良い人の発想。


 ですが、モチベーション維持のため執拗に目的を追求するワタクシは、まず『貴様、何故にウンコの所以の追求を所望するか』ということを説き始めます。

 そして、ひとたび公の場のウンコ量を減らすためだということが分かると、「この街全体のイヌというイヌからDNAを採取してこのウンコと照合してやろうぜぇぇえい!」的なことをドヤ顔でヌカし始めます。 バカ丸出し。ええ、これは准教授と生徒の会話です。


 ただ、注目して頂きたいのは私のやり方の方で、確かな結論を求め過ぎる余り『着手すべき手順と自分の出来る範囲』を完全に見失っているんですね。こういう時、先生にはよく「え、ソレもやんの?」と言われます。

この時に強く意識するのが、自分と先生の視点の違いです。

ナゼ先輩と後輩に視点の違いが生まれるのか

 『研究は山登りみたいなもの』と、かの森博嗣大先生も仰っていますが、いっぱい山を登ったことのある人は麓の状態を見た時、つまり、挑戦する前の段階でその高さと挑戦する価値がある程度分かるんですよね。

 ただ、ワタクシみたいな若造が勝手に研究テーマを見つけてきて、「あ、ここに山あるよ!先生!」ってはしゃいでいるのを横目で見ていて、「いや、その山テメェの軽装じゃムリやで」とは言いずらいんだと思います。
 その時にぶっぱなされるのが、「え、ソレもやんの?」

経験と知識の価値

 修学旅行に行った青年がドヤ顔で木刀を買おうとしてるのを見て、担任教師が「オイオイちょっと落ち着け」と言いたくなるように、年上の人は経験からその物事の価値と末路を判断することができるワケです。そして、バカは自分の判断は正しいと信じて疑わない。

 仕事でも子育てでもウンコ研究家の世界であっても、経験と知識が上である人間に対峙した時、つまり『自分よりもその物事について考えているはずの人』に出会った時は、自分の中にある正しさを疑って、納得したら素直に認めることが大切のようですね。長く地球に君臨している人生のパイセンの方が地球に詳しいのは当然の成り行きと言えるでしょう。



 そして最後に、先程の『研究としての山』の話に戻るのですが、一つの山を登り切って、その頂点に辿りつくとどうなるのか。







森博嗣『喜嶋先生の静かな世界』という本からです。




喜嶋先生の静かな世界 The Silent World of Dr.Kishima (講談社文庫)





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