ブログを始めた理由と、これからのこと。

ひっしゃのコラム
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前回の留学体験記からの、スピンオフになります。

始めた理由と続ける理由

 ブログを始めたことを公言してから、有り難いことに、知り合いの何人かに「ブログ、何でやってるん?」と聞いてもらえました。あんまり近寄り難い人間になりたくなくて適当なことを言っていましたが、実はかなり強い意思があって始めています。だから、誰も読んでくれなくないネットの夕張町みたいになっても、親族しか来てくれない家族葬みたいになっても、やめられないと思います。

 なので、かなり不可思議なタイミングではありますが、ブログを始めた理由と続けていく理由を、少しだけアツく語っていきます。

一つ目:思考のスピード

 一つ目に、「自分でも、自分がナニを考えているか分からない状況が多すぎる」というのが、ブログを始めた理由です。これは留学の話と関係してくるのですが、留学開始後1ヶ月くらいに徐々に気付き始めたことがあって、「あれ、自分めっちゃバカになってる」。

 自分の思考できる領域というのが、言語を通して自分が認識できる範囲でしかないので、英語ばかりを使っていると、英語のボキャブラリーの範囲でしか物事を考えられなくなってしまい、結果的にとてもバカになってしまいました。その時の私は完全に、最終学歴幼稚園でした。


 そして、『英語のボキャブラリーが少ない→思考領域が狭くなり言いたいことも少なくなってくる→英語で話せなくなる』という完全無欠の負のスパイラルにハマり込んだ私は思いました。

「母国語で自分の意見を考える能力」、とても大切。


 話が若干あさっての方向に行きますが、私は意識してコミュ力を鍛えようと思う程度には、インキャだった側の人間なので、人と会話をするときには、「自分の言いたいこと」と「相手の聞きたいであろう返答」の狭間で考えます。そして、基本的に人数の多い飲み会になればなるほど、思考が「相手の聞きたいであろう返答」の方に寄っていきます。「周りの人を楽しませねば」という謎の使命感に襲われて、ウケにいってしまうタイプの人間です。

 つまり、相手の聞きたいであろう返答を気にせずに、ものを考えたり、言ったりできる機会がないと、「母国語で自分の意見を考える能力」は絶対に上がらないと思いました。これが、ブログを始めた理由の1つです。可笑しなことに、単語張とポッドキャストのとりこになっていた留学前半戦よりも、ブログを始めた留学後半戦の方が、英語での会話力はかなり伸びた気がします。

二つ目 :自分だけの評価基準

 そしてもう一つの理由は、続ける理由です。前の体験記に書かせてもらったように、自分が勉強以外で他の人よりちょっとだけ自信を持てるのが、文章を書くことくらいしかなくて、少しでも自分が実力を過信できるものなら、それくらいは続けられる人間でありたかったからです。

 勉強も英語力もコミュ力も、その全てが本当に分かりやすい評価基準で、そしてあり得ない位負けず嫌いな自分は、その分かりやすいベクトルだけで、ずっと誰にも負けたくないって思っていました。現実を打ち抜けそうなものばかりを、ずっと求めていたんだと思います。


 でも、やっぱり自分はその基準でトップに行ける程出来た人間ではないです。それ以前に世界はずっと広くて、自分よりできる人間なんて本当に星の数ほどもいます。自分の目の前に現れて来た人だけと競っているなんて、なんて滑稽で下らない嫉妬心だったんだろうとも思いました。

 だから、誰にも価値を認められないかもしれないけど、自分がちゃんと価値を認められるベクトルを、一つ作りたくなりました。それが、『文章を書くこと』でした。私は、芸人としての才能だけでは生き残れないから、『グルメ芸人』になってしまうタイプです。必要なこと以外からしか生まれないのが個性であり、そんな人と比べる必要のない基準を、ずーーっと伸ばしていけば、そこでしか考えられない物事が絶対にあるだろうと、思っています。


 ありがたいことに私の周りの人間は忙しい人ばかりで、私が多少ヘンなことをしてても、何かをやらかしたとしても、他のことで忙しくて構ってられないような人達ばかりなので、安心して何でもやることが出来ています。

最後に

 そして、何だかんだ自分の中にたくさん理由を作っても、結局少しは誰かの心を動かせる文章を書きたいと思っています。絶対やめないなんて大口を叩いても、ここが北海道有数の過疎地、『夕張町』になってしまったら、私はきっと続けられないと思います。だから、たまに言ってもらえる、「意外におもろい」とか「ふつーに共感した」とかは、当方は想像を絶するくらい喜んでいます。


 他人だけのために動けるほど立派な人間ではないですけど、自分だけのために動ける程自律した人間でもないです。感動とか影響とか、そんな力がたかがウェブ上の16ptゴシック文字に含まれてると思える程おめでたい頭ではないですが、どこかで誰かがこれを読んで笑ってくれたり面白がったりしてくれてないかな、と想像しないとやっていけないです。






 そして、こういう感覚の全ては、きっと直ぐに忘れてしまいます。近い基準で物事を考える人間の間では、自分自身しか持ってない基準なんて、何の価値もなくてくだらない、どうでもいいものに見えてきてしまうと思います。だからせめて、こう考えた自分がいたことを、こうやって誰かの目に見える形で残しておきたいです。これが、いつかどこかで意味のあるものになるかもしれないと、都合の良い方向に賭け続けて、これからも積み重ねていきます。


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