「良い経験になった」という言葉が嫌いだ

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そういう話を、友人とした。

「良い経験になった」は便利過ぎる

 当方、「良い経験になった」という言葉が嫌いで、それによってどんな出来事も肯定できてしまう便利でお買い得な言葉だと思うからです。ヒモ男と別れたばかりの女ですら、「男の見る目がついたわ。これも経験。」って言えるんですよ。そのくらい不本意、この言葉は。

 だから、就活生でこれから面接を控えている皆さんがもしいたとしたら、「良い経験になった」とかいう言葉、絶対封印した方がいいですよ?経験ベースで肯定するのが、実のところ最もイージーなので。そんなのは小学校の運動会の作文で終わりにしましょう。


 この話を、ニュージーランドに留学している友人としたことがあります。その時に彼が、こんなことを言っていました。

 でも、どんな嫌なことがあっても、最終的に「良い経験になった」って言うために、そこから挽回しようと頑張れるような気がするんだよね。


 これは私も妙にナットクしてしまって、「良い経験になった」の是非を考え直す機会になりました。今回はこの「良い経験になった」のカードを有効に召還する方法について、アツく語っていきます。

経験の価値が意味するもの

 私が「良い経験になった」を忌避してしまうのは、そこに自己満足と自己肯定の集大成を見るからです。ですが、よくよくこの自己満足について考えてみると、『自己が満足できる』なんて状況は人生において中々起こることじゃなくて、結構希少で素晴らしいことなんじゃないかと思えてきたりもします。


 ただ、「良い経験になった」という言葉に内在するどうしても拭えない部分が、その言葉の発動時に、「その取組みはあなたのためにしかならなかったのね」という印象がオマケになって着いていってしまう点です。あなたのためだけの取組みなら、恋愛でもゲームでも自炊でも何でも語れる。地化アイドルのオタクですら、「頑張ってるあの子のため」だと言ってお金と時間を費やしてるの、知ってます? 


 私自身は、せっかく何かに取り組むなら「自分のための価値ある経験」以上にはしたいと思っています。研究だったら、まだ未知だった答えに辿り着く過程とその結果を、論文にして残せます。仕事をしているアナタであれば、誰かからお金をもらえるほどの価値を、日々生産しています。素晴らしいことです。


 そして、私が留学している時に一つ思っていたことがあります。確実なのは、留学は最高の感想で「良い経験になった」としか言えないということです。この事実が留学期間を経るに従って、自分の中に不甲斐ない気持ちを段々と募らせていきました。

結局経験以上の価値とかが、欲しい

 留学は自分で決めて、自分のためにしたことだから、経験としての価値でしか評価出来ないのは当然のことでした。限られた時間内での海外でのソロ行動なので、これで妥当なところです。よく考えたら、学生生活の大半がそもそも、そんなものでした。


 ですが、今後関わる人が多い出来事に取り組むことになった時には、「良い経験になった」という言葉はできるだけ使わないようにしたいです。

 例えば私が就職して、転職の機会が来たとしたら、「ここでは良い経験ができました」とは、口が裂けても言いたくないです。上司も後輩も同期も取引先も、自分の経験のために存在しているわけではないからです。

 だから、これから物事に取り組む時は、いつも「良い経験になった」以上の言葉を探していたいです。そのくらい柔らかい人間が、とても理想的だと思っています。






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